ARTISTアーティスト紹介
東山魁夷
作品
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静映
(彩美版®プレミアム) -
道
(彩美版®プレミアム) -
緑響く
(彩美版®プレミアム)
略歴
1908年 | 7月8日 船具商を営んでいた父「浩介」と妻「くに」の次男として神奈川県横浜市の海岸通に生まれる |
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1911年 | 父の仕事の関係で兵庫県神戸市西出町へ転居 |
1921年 | 兵庫県立第二神戸中学校(現:兵庫高校)へ入学 |
1926年 | 東京美術学校(現:東京芸術大学)日本画科へ進学。結城素明に師事し「魁夷」を雅号とする |
1929年 | 第10回帝展に『山国の秋』を初出品、初入選 |
1931年 | 東京美術学校を卒業 |
1933年 | ドイツのベルリン大学(現:フンボルト大学)に留学 |
1934年 | 日本とドイツとの間で交換留学制度が始まり、第1回日独交換留学生として2年間の留学費用をドイツ政府から支給され、ベルリン大学文学部美術史科に入学 |
1935年 | 父危篤の報を受け奨学金支給期間を1年残したまま日本に帰国(1942年事事業に失敗し死去) |
1940年 | 日本画家の川﨑小虎の娘すみと結婚。同年、種差海岸(青森県八戸市東部)の風景とそこにいる馬を取材した『凪』を紀元二千六百年奉祝美術展に出展した。種差を題材にしたと思われる作品は生涯で17点ほどあり、馬も東山作品のモチーフとなった |
1941年 | 母が脳出血で倒れて療養生活に入る(1945年11月死去) |
1945年 | 4月に母と妻を伴い高山(岐阜県)へ疎開。7月には召集令状を受け入営。熊本県で爆弾を抱えての対戦車体当たり攻撃の訓練を受けるうち終戦を迎えた。召集解除後は小虎、母、妻が疎開していた山梨県中巨摩郡落合村(現:南アルプス市)に一旦落ち着く |
1945年 | 母の死去後、千葉県市川市に転居、中村勝五郎(馬主として知られる実業家)から住居の提供など支援を受ける |
1947年 | 鹿野山(千葉県君津市)からの眺めを描いた『残照』が第3回日展で特選を得て日本国政府に買い上げられたことから世評が高まり、風景画家として独自の表現を追求した |
1950年 | 『道』は、「前方へとまっすぐに伸びる道」それだけを描く作品で、実際には道の奥に見えるはずの鮫角灯台が省略され、ただ一本の道に魁夷の心象が投影された象徴の世界として描かれた |
1953年 | 日展審査員となり、以後 歴任 |
1956年 | 前年の第11回日展に出品した『光昏』で日本芸術院賞 |
1960年 | 東宮御所の壁画『日月四季図』完成(宮内庁依頼作品) |
1961年 | 吹上御所御用命画『万緑新』 |
1962年 | イタリアのローマ日本文化館に『緑岡』 |
1965年 | 日本芸術院会員、日展に『白夜光』を出品 |
1968年 | 皇居新宮殿障壁画『朝明けの潮』落成、文化財保護審議会専門委員に就任 |
1969年 | 『朝明けの潮』の制作及び、「東山魁夷展京洛四季展」によって毎日芸術大賞を受賞、11月には文化勲章を受賞、合わせて文化功労者に選出される |
1970年 | 東京国立博物館評議員に就任 |
1973年 | 自然環境保全審議会委員に就任 |
1974年 | 日展理事長に就任。翌1975年に辞任 |
1975年 | 奈良 唐招提寺御影堂の第一期障壁画『山雲』『濤声』(約10年の歳月をかけて制作)を奉納。フランスのパリ吉井画廊で唐招提寺障壁画習作展、ドイツのケルン日本文化会館で同習作展 |
1976年 | パリ吉井画廊で京洛四季習作展 |
1977年 | パリ唐招提寺展に障壁画を出陳 |
1978年 | 中華人民共和国の北京と瀋陽で東山魁夷展、パリで『コンコルド広場の椅子』原画展 |
1979年 | ドイツのベルリンとライプチヒで東山魁夷展 |
1980年 | 第二期唐招提寺障壁画の三題『黄山暁雲』『揚州薫風』『桂林月宵』を唐招提寺に奉納 |
1981年 | 唐招提寺鑑真和上像厨子絵『瑞光』を奉納。東京国立近代美術館で東山魁夷展 |
1982年 | 国立国際美術館で東山魁夷展 |
1983年 | ドイツのミュンヘン、デュッセルドルフ、ブレーメンで東山魁夷展 |
1984年 | 西ドイツ最高栄誉であるプールルメリット学術芸術院会員に選ばれ、ボンで会員章を大統領臨席の下で授与 |
1986年 | 日中文化交流協会代表団団長として訪中 |
1988年 | 京都市美術館、名古屋市美術館、兵庫県立美術館で東山魁夷展 |
1990年 | 東京の日本橋髙島屋でベルリンハンブルクウィーン巡回展帰国記念東山魁夷展 |
1995年 | 東京、京都、長野で米寿記念東山魁夷展 |
1996年 | 長野県内の高等学校106校に東山魁夷画集図録を贈呈 |
1997年 | 神戸、福岡で、米寿を迎えて-東山魁夷「私の森」展 |
1999年 | 5月6日(鑑真和尚と同命日)老衰のため90歳で死去、従三位 勲一等瑞宝章 受賞 |