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速水御舟

速水御舟

作品

  • 名樹散椿
(彩美版)

    名樹散椿
    (彩美版)

略歴

1894年 蒔田良三郎、いとの次男として東京浅草に生まれる 本名栄一
1908年 松本楓湖の安雅堂画塾に入門
1909年 母方の祖母速水きくの養子となるが蒔田姓を使い続ける。師楓湖より雅号「禾湖(かこ)」を授かる
1911年 安雅堂画塾の先輩、牛田雞村の紹介で今村紫紅と出会う。紅児会に入会
この頃、後に義兄となる吉田幸三郎と知り合う
1913年 第13回巽画会展に前年作の《萌芽》に加筆して出品。原三溪に購入されたのを機に同年10月より原家の援助を受ける
1914年 この頃から速水姓を名乗り始める。雅号を「御舟」に改める
8月目黒の吉田家家作に移転
10月再興第1回院展に《近村(紙すき場)》を出品し院友推挙
今村紫紅、牛田雞村、小茂田青樹らと赤曜会結成
1917年 4月京都市寺町大雲院の塔頭信養院に仮寓する
7月京都市清水坂上にある大倉孫兵衛(姉好の姻戚であり大倉陶園の創業者)の
別邸に移り住む
9月再興第4回院展に《洛外六題》出品
横山大観らの激賞を受け川端龍子とともに同人推挙
1918年 6月洛北修学院村の林丘寺内にある雲母庵に移り住む。《洛北修学院村》(再興第5回院展)
1919年 3月浅草駒形で電車に轢かれ左脚を切断する。8月京都木屋町で舞妓を写生する
1920年 この頃より静物画に集中的に取り組む
デューラーに強い関心を持つ
《京の舞妓》(再興第7回院展)
1921年 3月吉田幸三郎妹、弥と結婚。目黒吉田邸内に住む。《茶碗と果実》、《白磁の皿に柘榴》、《赤絵の鉢にトマト》などの細密描写による静物画連作を制作する
1923年 3月武蔵野野火止の平林寺に仮寓。制作の傍ら参禅修行する
1925年 《炎舞》(重要文化財)
1928年 《翠苔緑芝》(再興第15回院展)
1929年 《名樹散椿》(再興第16回院展/重要文化財)を制作
1930年 イタリア政府主催・ローマ日本美術展の美術使節として渡欧、ヨーロッパ各国及びエジプトを廻り帰国。ローマ日本美術展には《名樹散椿》、《鯉魚》を出品。イタリア政府よりオクイシェー・クーロンヌ勲章を受章
1932年 《花ノ傍》(再興第19回院展)
1935年 腸チフスに罹患、3月20日逝去

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